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「卑弥呼と神武が明かす古代」

 

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p51 絹織物研究の第一人者、布目順郎氏(元京都工芸繊維大学教授)の研究を紹介しよう。弥生時代に絹織物が出土しているのは北部九州一帯と、鳥取県の一箇所だけである。
今のところ1番古いのは、福岡市早良区の有田遺跡だ。付近の放射性炭素(14C)によれば紀元前5世紀くらいまで遡る可能性もある。中国製絹のきめ細かいのは、春日市の須玖岡本遺跡だけらしい。
 
p53 鳥取市青谷町の青谷上寺遺跡。青谷からは縫い目がわかる絹織物が断片になって、炭化米と一緒に出てきた。ここからは鉄器も250点、戦闘傷のある人骨や、占いに使った獣骨も100点近く出ている。
 
p54 中国では、絹は紀元前12世紀以前の殷の時代から作られていたらしい。殷時代の象形文字に蚕の字が出てくる。
紀元前後の中国・漢王朝は、蚕など絹関係のものを門外不出にした。漢王朝は、西域の国に王女をホータンの王に嫁がせたが、彼女は髪の毛の中に蛹を隠して関所を通り抜けたという。シルクロードの寺院遺跡から、その由来を描いた絵が出てきた。
それほど厳重に絹の独占を守ったのに、九州には絹織物生産のノウハウが持ち込まれていたのである。卑弥呼たちは絹織物の生産が盛んだった揚子江周辺(江南)にルーツを持っていたらしいからだ。
 
p162 故灰塚照明氏は徹底的な聞き込みをした結果、福岡市早良郡から西区、前原市にかけて、神武一族の説話が濃厚に伝えられていたことがわかった。
福岡市街と前原市を区切る背振山地に高祖(たかす)神社があり、神武一族の祖とされるニニギのミコトの子ヒコホホデミのミコトや神武の母玉依姫を祀っている。志摩町也の熊野神社末社になっている可也神社は、神武四兄弟の三番目の兄、御毛入野ミケイリのミコトを祀る。同市千里の三所神社にも祭られている。次男の稲氷命は、対馬・上県・峯の木坂八幡宮などに祀られていた。
 
また前原市の中心部にある産宮神社は姉の奈留多姫を、細石神社や波多江神社にはニニギの妻木花咲邪姫やその姉磐長姫、神武兄弟の父ウガヤフキアエズのミコト、玉依姫を、北側の志登神社には、ウガキフキアエズの実母という海神の娘豊玉姫を、さらに前原市内や隣の志摩町の神社には、天照大神イザナギ命、手力男、シオツチの翁など神話に登場する人が網羅するように祭られ、地域の崇敬の対象になっていた。
 
p215 2004年10月、現在の西安郊外で、「井 真成」という若い日本人の墓誌が見つかった。この井さんは、勤勉と人柄から唐の玄宗皇帝に気に入られて、玄宗皇帝が井さんの36歳という若い事故死を悼み、尚衣奉御の位を贈り、葬儀は官給とするよう命じた。
 
p222 研究仲間の白名一雄氏は、電子電話帳で全国の井さんをリストアップしたところ、北海道から沖縄まで775軒も存在していた。そして井さんが集中しているのが九州。なかでも熊本県が337軒。特に安蘇郡産山村全戸数153戸のうち67戸が井さんであった。
 
p224 産山村の井 典吾さんの話が興味深かった。「井家は、神武天皇随行していた家柄です」とおっしゃる。
 
p227 実は、神武一族が支配していたと考えられる伊都国、すなわち前原市を中心にした地域には、井やイの字を冠した地名が多い。中国製の鏡など豪華な出土品で知られる遺跡の一つは井原の鑓溝であったし、井田、井尻、井町、井の浦などの地名が残っていた。
神武の兄、御毛入野命を祀っている飯石神社は飯氏(いいじ)にある。長兄五十瀬(伊勢)命や伊勢にもイ。伊都国もイの都とも解釈できる。飯盛神社も鎮座する。
 
さらに、倭国の倭は、唐時代以前は、ヰ(イ)としか読めない字であった。井氏は、伊都政権の中枢部にいた氏族である可能性が高い。