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「太宰府は日本の首都だった」

内倉武久著 ミネルヴァ書房 2000

 

ハイライトは姫氏(紀氏)・松野連の系図太宰府市周辺の古墳から盗掘された新羅風の冠と玉ねぎ型の冠も素晴らしいです。姫氏の王冠だったのでしょうか?

 

p31 九州大学中橋博教授らと上海自然博物館の共同調査では、北部九州の弥生人と、中国江蘇省の胡場遺跡から出土した紀元前500年前後の人骨は、頭骨や身長などの身体的な特徴が全く一緒だっただけでなく、その遺伝子配列DNAもそっくりだったという。
さらに江南人骨日中共同調査団の調査では、福岡県筑紫野市界隈・西小田遺跡の弥生人骨六体と、紀元前5世紀の江蘇省梁王城、揚州儀征遺跡の三体のミトコンドリアDNAが一致し、形質面でも山東省に近い連雲港市の前漢時代の遺跡人骨と福岡市博多区の金隈遺跡、筑紫野市の永岡遺跡のと面長度の特徴が一致したという。

 

p32 これらのデータは北部九州の弥生人朝鮮半島からではなく、直接間接を含めてその故郷が中国大陸であったことを示唆するデータである。

 

p49 三角縁神獣鏡は最近では1998年奈良県天理市の黒塚古墳から、一挙に三十三枚が見つかった。知り合った奈良県のある愛好家は、筆者に5枚ほどこの鏡を見せてくれて、「こんなもの、みんないっぱい持っているよ」と言っていた。博物館に収まっている数より、愛好家が持っている数の方が多いのではないかと思ったものだ。

 

p51 森浩一さんらが指摘しているように、黒塚でも三角縁神獣鏡は全て棺外に並べられ、棺内の遺体の頭の上には画文帯神獣鏡が置かれていた。死者の遺族や関係者が一番大事な鏡だと認識していたのは、棺内の中国製の画文帯神獣鏡であることは明白だ。全国から出土する三角縁神獣鏡に、権威の象徴で大和政権が配布したなど政治的な意味を持たせる小林行雄説を否定したといって良いだろう。

 

p61 山口県下松市の宮原遺跡にあった炭化米の測定値からすると、日本列島の稲作は縄文時代前期末には始まっていたことになる。

 

p63 岡山県美甘村の姫笹原遺跡で、紀元前2500年ごろの縄文時代中期の土器から、稲の花粉が見つかったという。稲作研究家として名高い藤原宏志・宮崎大学農学部教授の調べでも、紀元前1500年頃の花粉を同県内で検出している。
中国では、1996年揚子江中流域の湖南省で紀元前7~6000年の炭化米が見つかったと報告されている。この米はジャポニカ種水稲らしい。

 

p79 太宰府政庁遺跡周辺に残る地名は興味深い。中心部に小字名「内裏」がある。「御所の内」もある。政庁遺跡の中心付近には、明治時代まで「紫宸殿」と呼んでいた場所があったという。

 

p82 蟻通神社は一定期間古代倭国の支配者だったらしい「紀氏」と関係が深い神社だ。筆者が知る限り、紀氏の根拠地の一つである大阪南部やに数多くある。太宰府にいた都督や天子は、紀氏の血筋を引く人たちや天(海人)氏である可能性が高いからである。