好きなもの、心惹かれるもの

本、音楽、陶器、織物、手芸品をご紹介します。

Edwina Mountbatten, Countess Mountbatten of Burma

ルイス・マウントバッテン伯爵、つまり初代マウントバッテン・オブ・ビルマについて。父も母もドイツ系ではあるのですね。調べて行くと、まさにアガサ・クリスティの世界ってこんな感じだったのだろうな、と感じます。家系は、右から左へと忘れていきますが、とりあえず。

wikiより

初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンの子(次男)で、ヴィクトリア女王の曾孫(祖母がヴィクトリア女王の次女)。ドイツバッテンベルク家出身。海軍元帥。父はアレクサンダー・フォン・ヘッセンダルムシュタット。母はポーランド貴族。

姉の一人にアリス・オブ・バッテンバーグがおり、エディンバラ公フィリップ(イギリス女王エリザベス2世の夫、チャールズ王太子の父)の叔父にあたる。

母の結婚前の名は、ヴィクトリア・フォン・ヘッセンダルムシュタット(Victoria von Hessen-Darmstadt)。

 
ヴィクトリア・マウントバッテン1863年4月5日 - 1950年9月24日

 

ヴィクトリアは、ヘッセン大公ルートヴィヒ4世と最初の妃であるイギリス王女アリスヴィクトリア女王アルバート公の次女)の長女として、ウィンザー城で生まれた。3歳まではベッスンゲンで育ち、その後ダルムシュタットに家族で住んだ。彼女は妹エリーザベト(のちのロシア大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナ)と同じ部屋に生活し、良い教育を受けた。

1878年ダルムシュタットで大流行したジフテリアに大公一家が罹患し、末妹マリーと母アリスは助からなかった。ヴィクトリアは、幼い兄弟たちの母親代わり、父の秘書代わりとなった。

1884年4月、ダルムシュタットでヴィクトリアは父の従弟ルートヴィヒ・フォン・バッテンベルクと結婚した。彼の父アレクサンダー貴賤結婚をしてロシアの軍人となっていたため、子供たちは下級貴族扱いであり、資産も少なかった。この結婚に父ルートヴィヒは不本意だったため、夫がイギリス海軍の軍人だったこともあり、ヴィクトリアはイギリスで生活するようになった。夫が地中海へ航海に出ると、ヴィクトリアも同行してマルタで一冬をすごしたことがあった。彼女は息子ルイスを10歳まで自分が家庭教師代わりに教育した才女だった。ルイスは1968年に「母は歩く百科事典だったよ。」と言った。

第一次世界大戦が始まると、夫ルイスとヴィクトリアはワイト島に引退した。国民感情を考え、敵国ドイツの姓を名乗るのに不都合となり、イギリス王家は「ウィンザー家」と改名した。それにならい、ヴィクトリアたち一家は「バッテンベルク」(バッテンバーグ、Battenberg)から、より英語的な「マウントバッテン」(Mountbatten)に改姓した。その3日後、夫はジョージ5世よりミルフォード・ヘイヴン侯爵を授爵された。この戦争の後の1917年のロシア革命で、ヴィクトリアは妹2人、エリーザベトとアリックス(ロシア皇后アレクサンドラ)を失った。

ヴィクトリアは、長女アリスの病に心を痛め、家庭の不和で行き場をなくした孫フィリッポス(のちのエディンバラ公フィリップ)を引き取り、イギリスで養育した。

夫と死別してからの彼女は第二次世界大戦中に、ケンジントン宮殿に住んでいた。宮殿が空襲に遭ったあと、ウィンザー城に住まいを移した。1950年、ルイスの家に滞在中に病にかかり、「ここは私が死ぬには良すぎる場所よ。」と言ってケンジントン宮殿に戻り、そこで没した。

子女

 

ここで妻となった、エドウィナ・アシュリーとは?と検索すると、英文しか出てこないんですね。エドウィナの母は、欧州でも有数の富豪でパワーを持ち、エドワード7世の私的な銀行家だったという、Sir Ernest Cassel (1852–1921)の一人っ子。逆玉の輿だったようにも見えるのです。ものすごい遺産をもらっていたのですね。妹さんがいたようですが、何も書かれていません。エドウィナ・アシュリーは1900年11月生まれ、夫のルイス・マウントバッテンは1900年6月生まれ。

Lady Mountbatten held the following honours:

en.wikipedia.org

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結婚式のベストマンは、エドワード8世ではないでしょうか。

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このマントは何の称号に関する衣装なのかは不明。

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エリザベス女王戴冠式の時の礼装

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長女のパトリシア・ナッチブル、2nd Countess of Mountbatten of Burma

結婚式のブライズメイドとして、エリザベス王女、マーガレット王女、アレクサンドラ王女、妹のパメラ・マウントバッテン。

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次女パメラ・ヒックス。女王のlady-in-waitingを勤め、インドご訪問などに同行したそうです。レディ・パメラ・ヒックスの結婚式のブライズメイドには、アン王女が出席しています。

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ルイス・マウントバッテンwikiを見たら、二回、クーデター計画に関与したという噂?が書かれていました。下記の記事を読んで、なるほど、と。また、甥の18歳のフィリップ王子を、13歳のエリザベス王女と引き合わせ、文通を促したとか、他でも読みました。

後列1番左がマウントバッテン卿、前列左から3人目がエドワード8世。東京での写真だそうです。マウントバッテン伯爵は、昭和天皇国賓で訪問された際に、晩餐会出席を拒否し、葬儀にも日本を招待しなかったのだそうです。

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therakejapan.com

子孫のマウントバッテン家の話題は他にも。

www.huffingtonpost.jp

Royal Collection Trust

英国王室の宝物を発見。インドの、特に金細工が素晴らしいです。

www.rct.uk

 鯉に見えますが、なんとなく顔がライオンぽい。

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ライオンの香水入れ。初めて見ました。

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日本の正倉院御物にある、貝を象嵌した御物に似た意匠ですね。

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www.rct.uk

レオナルド・ダ・ビンチによるレダのスケッチだそうです。初めて見ました。他にもありとあらゆる品々の写真が。上記をクリックしますと、写真が出てきます。

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プチ・ポワンのポーチ

久家道子さんのプチポワンの刺繍を買っておいたのですが、どこに使おうかと迷った挙句、手提げでなくポーチにつけてみました。1枚目は同系色でぴったり合いました。麻の布地、レースも麻です。2枚目も麻の布地、レースはポリエステルと思います。

3枚目と4枚目は、30年ほど前に買った久家さんの刺繍ポーチを分解して、自分のリバティプリントのポーチにつけ替えたもの。

5枚目も麻の布地、このプチポワンは、ザルツブルグのがま口財布から切り取ったものです。金具がパチンと合わないので、使用せず、分解して刺繍部分をキープしておきました。楕円形に切りたかったのですが、黒い部分も黒で刺繍してあるため断念。買い置きでずっと箱の中で寝ていたレースやリボン、余り布が使えるものになるのは嬉しい。

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芸術としてのイースター・エッグ

民族衣裳について調べていたら、とても素晴らしいブログを発見しました。民族衣装の写真も素晴らしいのですが、目を惹かれたのが、こちらのシャーマンらしき巫女のタマゴ。アボリジニの芸術にも少し似た感じがあります。ウクライナのピサンキアーティストであるHalyna Kovalenko(ハリナ・コバレンコ)さんの作品だそうです。

ドイツのスラヴ系少数民族ソルブ人についても初めて知りました。詳細は、ぜひこちらのブログの記事へどうぞ。

slow-art.blogspot.com

 

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en.wikipedia.org

meinfavorit.hatenablog.com

リメイクのウェディングドレス

エリザベス女王の次男アンドリュー王子の次女、ユージェニー王女のウェディングドレスが、昔のエリザベス女王のドレスによく似ていると思いました。襟がそっくりです。女王のワードローブを参考にデザインされたのでしょうか。

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ブーケに青い花が入っています。アザミでしょうか?

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父アンドリュー王子が、ドレスの裾を絡まないように持ってあげているのが良いですねえ。

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妹のユージェニー王女は聖ジョージチャペルで挙式、500人もの招待客と、アンドレア・ボチェリを呼んで歌ってもらっていましたが、長女のベアトリス王女は、コロナにより30人の親族のみ、ひっそりしたウェディングになりました。そしてウェディングドレスが、女王のドレスをリメイクしたものだと公表されています。女王の白いドレスは沢山あるようなので、どれをもらうか、とっても迷ったことでしょうね。

最初はバルーンスカートだったようです。

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それからスカートの裾を、直されたようです。

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ローズピンクが美しい花々。ブーケもピンクで素敵。

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この王室プライベートの教会、可愛らしいですね。

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ドレスはウィンザー城で、展示されたそうです。ブーケは本物より濃いピンクのバラが使われているようです。

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The Countess Mountbatten of Burma

フィリップ殿下の葬儀リストの最後の方にあった、この女性について、たった30人の親族リストに入ったこの方はどなた?と多くが興味を惹かれたようです。

簡単に言えば、フィリップ殿下の叔父、Lous Mountbatten, the first Mountbatten of Burmaの孫息子である、Norton Knatchbull, Lord Romsey(Lord Brabourne) のお嫁さんである、Lady Penny Brabourne。スイスで教育を受け、ロンドンで経済学を学んだそうです。

ルイス・マウントバッテン卿は、初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンの次男で、ヴィクトリア女王の曾孫(祖母がヴィクトリア女王の次女)。ドイツバッテンベルク家出身。海軍元帥

姉の一人にアリス・オブ・バッテンバーグがおり、エディンバラ公フィリップ(イギリス女王エリザベス2世の夫、チャールズ王太子の父)の叔父にあたる。

ルイス・マウントバッテン卿の長女パトリシア・ナッチブルは、父に男児が生まれなかったため、女性でありながら、稀な例として、2代目Mountbatten of Burmaを継いで伯爵であったそうです。パトリシアは、エリザベス女王のthe lady in waitingを務めています。夫が第7代ブラボーン男爵ジョン・ナッチブルで、結婚式にはエリザベス女王とマーガレット王女、アレクサンドラ王女がブライドメイドを務めた親しい両家。双子を含む8人の子女を産み、双子の男児と父を事故で失いました。

長男第3代Mountbatten of Burma伯爵ノートン・ナッチブルのお嫁さんが、Penelope Eastwoodで、結婚後はLady Penelope Romsey、のちにLady Penelope Brabourneペネロペ・ブラボーン伯爵夫人になった写真の女性です。結婚式では、チャールズ皇太子が新郎のベストマンとして出席しているそうです。

この女性について、あれこれ記事を見ていたら、むか〜し読んだ、サマーセット・モームの短編戯曲 "The Constant Wife"の世界に、とても似ていると思いました。英国上流社会の生き方、価値観が、現代も続いているのかも。

この「貞淑な妻」の舞台は、主人公の邸宅。映画マイ・フェア・レディのヒギンズ教授の家のようなイメージです。夫の診察室も、邸宅内にあります。

お話は、医師ジョンが妻の友人マリー・ルイーズと浮気をしていることを心配して、母や妹、家の内装をデザインする会社を経営する別の友人が、主人公コンスタンスの様子を見にやってくるところから始まります。そろそろ噂になっていたのです。コンスタンスは、夫の浮気に気がついているものの、知らないふりをしています。ついには妻のマリー・ルイーズとジョンが浮気をしている証拠として、銀のシガレットケースをベッドの枕の下で見つけたと、夫が怒鳴り込んでくるシーンになります。少し前に、浮気が夫にバレた、と慌てて診察を装ってジョンに会いに来ていたマリー・ルイーズは、大嘘泣きをするのです。迫真の演技。

コンスタンスは、「その銀のシガレットケースは、私が気に入ったから、夫から取り上げて使っているもので、私が彼女とベッドの上で会話中に忘れたものなのよ。」、と冷静になだめます。誤解だとわかり、赤面して恥ずかしげに帰る夫(実は浮気は事実だったのに、まんまと騙されて言いくるめられて)、浮気していたのを実は知られていたことがわかって呆然とする夫のジョンと、浮気相手の人妻マリー・ルイーズ

翌日マリー・ルイーズが来て、コンスタンスに、ジョンとの関係は終わったと伝えて欲しいと言います。そして夫に、誤解の代償として、大きな宝石を買わせたことを報告します。コンスタンスは、他に好きな人ができたのを見抜きます。マリー・ルイーズは小狡く、宝石をせしめただけでなく、今回に懲りずに次の浮気相手のターゲットを見つけたのです。

第二幕だったか、第三幕だったかに、昔のコンスタンスの恋人が、再プロポーズにやってきます。コンスタンスは、彼が昔通りかっこいいこと、今でも自分に首ったけであることを見定めて、二週間の旅行に行くことを承諾します。夫ジョンに対して、コンスタンスは交渉をするのです。「私は貴方が社会的信用を失う大ピンチを救ってあげたのよ。今度は私が浮気をする番だわ。」と言い含めます。夫は彼女が自分から去るのだと思いますが、コンスタンスは、帰ってくると言うのです。コンスタンスは現在のジョンの妻の社会的立場や屋敷が、居心地良いのでしょう。でも自分も若い頃のように、「僕のうさぎちゃん」、みたいに囁かれて、ちやほやされてみたいから、と言うのです。ジョンは、怒って、「マリー・ルイーズとよりを戻すぞ。」と言いましたが、コンスタンスに「彼女は次の浮気相手を早くも見つけたので、さっき別れを伝えに来たわよ。」と教えられ、悔しいと思いつつも、妻の座にいるというコンスタンスの言い分を認めざるを得ません。

マリー・ルイーズが夫を騙して宝石を買わせたのに対して、コンスタンスは、馬車馬のように友人の内装の会社で働いて、バカンスの費用を稼いだのです。コンスタンスの価値観では、浮気相手と遊びに行くのに夫の費用で行くのは嫌だし、浮気相手に払ってもらうのも別れる時に困るから嫌だというわけです。借りは誰にも作らない、という感じ。独立精神。

コンスタンスは美人、ジョンも魅力的な容姿を持っているようです。サマセット・モームは、コンスタンスと、その母を好んで描いているようでした。

非常に面白いな、と思いました。だから英国上流社会の人々は、自分たちのラブ・アフェア情事を極力隠したいわけです。メディアの方が、あの手この手で探偵した場合はともかく、ダイアナ妃やメーガンさんのように、自らすすんでメディアに言うのは、伝統的なやり方ではないんですね。

ペネロペさんは、貴族の生まれである夫以上に、貴族的。秘密は絶対漏らさない、夫が浮気相手と家を出ていったあとは、領地の管理を自分で夫以上にやりこなす能力がある。魅惑的な外見であると同時に、価値観やものの考え方が優れており、ウィットに富んだ会話にも長けていて、エリザベス女王、フィリップ王配、チャールズ皇太子、アン王女から信頼されている方なのですね。生まれながらに王族の方々が、気がつかない平民の価値観がわかり、貴族の価値観を尊重されているので、重宝されるのかもしれません。コンスタンスと二重写しになりました。

左がルイス・マウントバッテン卿

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なぜか女王陛下が走っていらっしゃいますが、その後ろがレディ・ペネロペ・ブラボーン。

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1979年10月20日にロムゼー修道院で結婚式を挙げたペネロペ・イーストウッドノートン・ロムゼー卿。挙式には総勢900人以上の招待客が出席した。ほとんどがヨーロッパの王室や貴族だった。photo : Getty Images

ベアトリス王女の結婚式招待客が約500人、フィリップ王配の当初の葬儀招待客予定が約500人だったことを思うと多いですね。

 

「1979年10月20日、26歳で結婚した相手は、ロムジー卿ことノートン・ナッチブル。彼はビルマの第2代伯爵夫人パトリシア・ナッチブルと、第7代ブラボーン男爵ジョン・ナッチブルの息子で、フィリップ王配の名付け子。ロムジー修道院で執り行われたふたりの結婚式では、イギリスの法定推定相続人であるチャールズ皇太子が花婿の立会人を務めている。夫はフィリップ王配ともチャールズ皇太子とも近い間柄(ウィリアム王子の代父でもある)だが、女王夫妻のお気に入りとなったのは彼女だった。」

次女レオノーラさんは、5歳で病死。

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ウィリアム王子と同じイートンに入学するも、退学。深刻なドラッグ中毒とのことで。

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アスコットにも何度も招待されています。このアイスブルーというのでしょうか、お好きなのですね。

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アン王女のガッツポーズ、可愛い。応援していた馬が勝ったのかしら。

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「婚姻によって王室メンバーとなった身でありながら、ペネロペ・ブラボーンは伯爵夫人たるにふさわしいその振る舞いで常に周囲に驚きを与えてきた。こうした美点ゆえに彼女は女王からも高く評価されるようになる。2010年に夫がバハマで愛人と暮らすために家を出て行き、ハンプシャーにある2400ヘクタールの領地をひとりで管理することになったときも、夫の任務をすべて引き受け、家柄にふさわしい数々の儀礼的役割を夫よりも立派に果たして見せた。4年後に夫が家に戻ってきたときも、追い出すことはしなかったが、距離は取っている。彼女は屋敷で生活し、夫は領地内にある納屋を改装した家に住んでいる。」以上「」内は、1番下のフィガロの記事より
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ホースショーをご覧になるフィリップ王配とレディ・ブラボーン、娘アレクサンドラさん

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アレクサンドラさんの結婚式で、父の代わりに花嫁の手をとったチャールズ皇太子エリザベス女王とフィリップ殿下もこの結婚式に出席されたそうです。

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Lord RomseyからLord Brabourneにタイトルが変わったノートン・ナッチブル卿

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魅力的な方ですね。私の想像は、女王陛下の公認した、lady-in-waitingの役割をフィリップ殿下に果たした方かなと思います。KingやPrinceにつく男性の場合、gentleman-in-waitingと言うようです。

wikiによるLady-in-waitingの説明は、以下のようになっています。

女官または宮廷の女性は、王室の女性または高位の貴婦人に付き添う、女性の個人秘書です。 歴史的に、ヨーロッパでは、lady-in-waitingはほとんど貴婦人でしたが、仕える女性よりもランクが低いことになっていました。 彼女は家臣であったかもしれないし、報酬を受け取っていないかもしれないが、女官は使用人ではなく、秘書、廷臣、または友人(話し相手)と見なされていた。

A lady-in-waiting or court lady is a female personal assistant at a court, attending on a royal woman or a high-ranking noblewoman. Historically, in Europe, a lady-in-waiting was often a noblewoman, but of lower rank than the woman to whom she attended. Although she may either have been a retaineror may not have received compensation for the service she rendered, a lady-in-waiting was considered more of a secretary, courtier or companion to her mistress than a servant.

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フィリップ殿下がこの競技を教えられたそうです。

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www.dailymail.co.uk

すぐそばに座っていた女王は、67歳の夫がとてもリラックスして満足しているのを見て安心しました。彼女は常に美しい女性に対するフィリップの愛情を知っていて、受け入れてきましたし、殿下はそれを決して秘密にしませんでした。
「彼の年齢での浮気っぽさは彼にとって非常に良いです」と女王の最も古い友人の一人は言います。 「それは彼を陽気にさせるから。」

長年にわたり、フィリップの名前は、故ジェーン、ウェストモアランド伯爵夫人、醸造所の相続人であるトルマッシュ卿の妻であるアレクサンドラから、女優のアンナマッセイやマールオベロンまで、多くの女性と結びついています。殿下は常に、時折憤慨した否定によって、これらの物語を一掃してきました。疲れ果てて彼は、「私は1947年以来、昼夜を問わずボディガードを置いてきた」と指摘しました。

女王は夫の忠誠心と支持に疑問を呈したことはありません。彼女が1997年の彼女の金婚式のスピーチでフィリップについて言ったように:「彼は、非常に簡単に言えば、私の強みです。」同時に、彼女はまた、彼女の親しい友人が言うように、次のことを受け入れるのに十分な世俗的です。「一部の男性には特定のニーズがあり、それは彼らが妻を愛していないという意味ではありません。」

フィリップと関係のあるすべての女性の名前の中で、ペニー・ブラボーンの名前は最も永続的であり、彼の人生の非常に遅い時期でさえ、注目を集め続けています。

しかし過去20年間、フィリップと友人から「魅惑的に美しい」と評された女性は、週末に馬車で全国を駆け巡ってきたので、これは驚くことではありません。彼女は、ノーフォークサンドリンガムにある人里離れた農場で開催される週末のハウスパーティーに、常連客として参加しています。女王がそこにいるとき、彼女は決して滞在しません。

確かに、廷臣が「ペニー・ロムジーの状況」に言及したときがありました。これは、彼女の現在疎遠になっている夫が、10年前に父親のブラボーン男爵の称号を引き継ぐ前のことです。

このフレーズは、ペニーとフィリップ殿下の間の長くてとりとめのない電話での会話の詳細が電子盗聴者によって漏らされた後、数年前に王室の廊下で出現しました。温かい親しみやすさで、チャールズとダイアナの離婚からカミラ・パーカー・ボウルズ夫人まで、王室の最もプライベートで差し迫った問題のいくつかを耳にしました。

フィリップ殿下は、彼女の考えや意見を高く評価しました。結局のところ、ペニーはチャールズとダイアナが事実上共通点がないために不適当であると示唆した最初の人でした。その深夜の電話の完全な詳細は決して明らかにされていません。

しかし、SquidgygateとCamillagateの事件の後、ダイアナと彼女の友人であるJames Gilbeyと、Charlesと彼の当時の愛人であるCamilla Parker Bowlesとの間の電話が傍受され、その後リークされたとき、録音された会話は必然的に「Dukegate」と呼ばれ、殿下の怒りに大きく影響しました。彼らの会話は他の人の親密さと含意とほとんど共通点がありませんでしたが、一部の人はそれを彼らの親密さの指標として解釈しました。

ノートンが最初にガールフレンド(当時はペニー・イーストウッド)をチャールズ皇太子に紹介し、その後フィリップを紹介した1975年以来、彼女は常に王室に人気があります。当時から彼女を知っていた王室の友人の一人は、次のように回想しています。間違いなく、この元肉商人の娘を王室​​生活の中心人物に変えたのは、彼女の活気と美しさでした。

フィリップ殿下は、いつもかわいい女の子に目を向けていましたが、簡単に退屈することでも知られており、彼女の知的で面白い性格が特に魅力的であることに気付いたわけです。彼は馬車の運転があまりできない時代に、彼らが一緒に時間を過ごすもう一つの理由を見つけました。それは水彩画です。

フィリップ殿下と女王に関しては、これらは今や彼らの黄金の平和な年ですが、古くからの友人は、ハンサムで評判の高い若い海軍士官が、女王と結婚した初期の頃を今でも覚えています。この間ずっと、彼は絶え間ないゴシップを振り払うことができませんでした。

過去60年間、彼の名前は一連の女性と結び付けられてきました。公爵夫人、王女、社会の美女は、作家のダフニ・デュ・モーリエなど、彼の結婚に先立つ人々に加えて来ました。さらに、フォートナム&メイソンのウェイトレスも関係を囁かれました。

若いフィリップ殿下の同時代人は、彼を「天文学的に格好良い」と表現しています。彼の注目を集める可能性が最も高かった女性に関しては、彼はどのタイプも好むようには見えませんでした。彼のいとこであるギリシャのアレクサンドラ王女は次のように述べています。「彼は金髪、ブルネット、赤毛が好きでした。彼は非常に公平でした。」

フィリップ殿下の好みについての話が衰えないのは、10年後の今でも確かに驚くべきことです。そして、魅力的な女性が彼の継続的な健康の1つの要因であると推測することは、確かに合理的です。彼のためのスリッパとバスチェアはありません。
女王は、フィリップ殿下とペニーの絶え間ない話題について、少なくとも最近は「リラックス」していると言われています。王族に近い人物が言うように「彼女は肩をすくめて、「フィリップは彼女がそばにいるのが好きなの。」と言います。フィリップに関しては、彼は世界が考えていることを気にしないので、罪悪感を感じるものは何もないと信じています。まあ、それは完全に正確ではありません。「フィリップは、いつも愛している妻を侮辱するようなことがない、と世界が知っていることを切望してきました」と友人は言います。

外見上、ゴシップに対する女王の態度が常に完全に穏やかであった場合、彼女は何年にもわたって、彼の浮気に付随する話によってイライラし、さらには傷つくことさえ知られていました。「彼女は彼が多くの面白さを持っていることを受け入れました」と近い人物は言います。 その人物が言うには、「彼の結婚以外の娯楽の必要性は、彼が妻の後ろに座り、行動的な王配であることを要求されていることと関係があると感じていました。」「しかし、彼女への彼の忠誠心は疑う余地がありません。」

最近では、明らかに、彼は過去の日ほど多くの「面白い」ことを必要としません。彼はまだ毎朝7.30(女王の2時間前)に起きていますが、彼はもはや一度に2つの階段を上ることはありません。

ペニー・ブラボーンにとって、彼女の夫が昨年バハマへの駆け落ちから戻り、彼女が本館に住む一方、ブロードランズの邸宅のコテージに引っ越して以来、人生はほとんど同じです。彼女は女王の頻繁なゲストであり、先週末はウィンザー城に滞在していました。

「ロムジーの状況」についてはもう誰も話しません。それは「偉大な友情」に取って代わられました。ペニー自身は、宮殿のスタッフから冗談めかして「and alsoそしてまた」と呼ばれています。彼女なしではゲストリストは完成しません。彼女は今でもエディンバラ公を崇拝しており、彼は間違いなく、この若くて美しい女性の注目を集めています。

The Queen, sitting just feet away, was relieved to see her husband of 67 years looking so relaxed and contented. She has always known, and accepted, Philip's fondness for the company of beautiful women, and he has never made a secret of it.
'Flirtatiousness at his age is quite good for him,' says one of the Queen's oldest friends. 'It keeps him chirpy.'

Over the years Philip's name has been linked with many women, from the late Jane, Countess of Westmoreland and Alexandra, wife of brewery heir Lord Tollemache, to the actresses Anna Massey and Merle Oberon. The Prince has always brushed away these stories with feigned indifference, punctuated by the occasional exasperated denial. Wearily he has pointed out 'I have had a detective in my company night and day since 1947' a reference to his police bodyguard who always accompanies him.

For her part, the Queen has never questioned her husband's loyalty and support. As she said of Philip in her golden wedding speech in 1997: 'He has, quite simply, been my strength and my stay all these years.' At the same time, she is also worldly enough to accept, as her close friend puts it, that: 'Some men have certain needs and that doesn't mean they love their wives any the less.'
The Queen has always known, and accepted, Philip's fondness for the company of beautiful women, and he has never made a secret of it.

Of all the women's names that have been linked with Philip, Penny Brabourne's is easily the most enduring, the one that even now so late in his life, continues to raise unwelcome attention.

But then, this is hardly surprising since over the past two decades Philip and the woman described by friends as 'bewitchingly beautiful' have spent endless weekends carriage driving together all over the country. She has been a regular guest at the weekend house parties he holds at secluded Wood Farm on the Sandringham Estate in Norfolk. She never stays when the Queen is there.

There was a time, indeed, when courtiers referred to the 'Penny Romsey situation' — this before her now-estranged husband succeeded to his father's title of Baron Brabourne a decade ago.

The phrase had emerged in royal corridors some years earlier, after details of a lengthy and rambling telephone conversation between Penny and Prince Philip were leaked by an electronic eavesdropper.

With a warm familiarity, they were overheard chewing over some of the Royal Family's most private and pressing issues, from Charles and Diana's divorce, to Mrs Camilla Parker Bowles.

Prince Philip valued her thoughts and opinions. After all, Penny was the first person to suggest that Charles and Diana were ill-suited because they had virtually nothing in common. The full details of that late-night call have never been revealed.

But after the Squidgygate and Camillagate affairs — when telephone calls between Diana and her friend James Gilbey, and Charles and his then mistress Camilla Parker Bowles were intercepted and then leaked — the taped conversation was inevitably dubbed 'Dukegate', much to Philip's understandable anger.

Even though their conversation had little in common with the intimacies and implications of the others, some interpreted it as an indication of their closeness.

Ever since 1975, when Norton first introduced his girlfriend — the then Penny Eastwood — to Prince Charles, with whom he was at school, and then Philip, she has always been popular with the Royal Family.
As one Royal Family friend who has known her since those early days recalls: 'She was one of the most natural young women I have ever met, outgoing but not brash or flirty.'
Undoubtedly, it was her lively mind, as well as her beauty, which turned this former meat trader's daughter into a central figure at the heart of royal life.

Friends of Philip know that — as a man who always had an eye for a pretty girl but was also known to get bored easily — he was bound to find her intelligent and amusing company especially irresistible.
Now, at an age when he is unable to do much carriage driving, he has found another reason for them to spend time together — painting in watercolours.

As for Philip and the Queen, these are now their golden, peaceful years, but old friends still remember those early days when the handsome young naval officer — with a reputation as a ladies' man — married the Queen. All this time, he has been unable to shake off the incessant gossip.

Over the past six decades his name has been linked with a string of women. The duchesses, princesses and society beauties came in addition to those who preceded his marriage, such as the author Daphne du Maurier and even, it has been murmured, a Fortnum & Mason waitress.

Contemporaries of the young Philip describe him as being 'astronomically good looking.'

As for the women who were most likely to attract his attention, he has never appeared to favour any type. As his cousin, Princess Alexandra of the Hellenes observed: 'He liked blondes, brunettes and redheads — he was very impartial.'

It is certainly extraordinary that even now, well into his tenth decade, talk of Philip's flirtatious nature does not abate.

And it is surely reasonable to speculate that the company of attractive women is one factor in his continuing rude health. No slippers and bath chair for him.

The Queen is said to be 'relaxed' — these days at least — about the constant topic of Philip and Penny
The Queen is said to be 'relaxed' — these days at least — about the constant topic of Philip and Penny. As a figure close to the royals says: 'She shrugs her shoulders and says: "Philip likes to have her around."'

As for Philip, he 'doesn't believe he has anything to feel guilty about as he doesn't give a damn what the world thinks'.

Well, that's not entirely accurate.

'He has always been anxious for the world to know he would never do anything to humiliate the wife he has always loved,' says a friend.

And if outwardly the Queen's attitude to the gossip has always been total calm, over the years she was known to be irritated, and even hurt, by the talk that attached itself to his flirtations.

'She accepted that he took a lot of amusing,' says a close figure. 'I've always felt his need for amusement outside his marriage had something to do with him being such an active and demanding consort, while having to take a back seat to his wife.

'But his loyalty to her is unquestioning.'

These days, clearly, he doesn't require as much 'amusing' as in past days.

Although he is still up at 7.30 every morning (two hours ahead of the Queen) he no longer takes the stairs two at a time.

For Penny Brabourne, life goes on pretty much the same, since her husband returned from an affair in the Bahamas last year and moved into a cottage on the Broadlands estate while she lives in the main house.

She is a frequent guest of the Queen, and last weekend was staying at Windsor Castle.

No one talks of the 'the Romsey situation' any more. It has been replaced by 'the great friendship'. Penny herself is jokingly referred to by Palace staff as 'And also' as no guest list is complete without her.

She still adores the Duke of Edinburgh, and he undoubtedly, still enjoys the attentions of this younger, and still beautiful woman.

But then, no one can imagine Philip failing to respond to a pretty woman until he has breathed his last.

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Philandering peer is allowed back home: Queen's friend Lord Brabourne returns to his 60-room mansion after being banished to a stable block when his wife discovered his affair

 

When Lord Brabourne, the Queen’s cousin, returned to his ancestral seat after an affair with a fashion designer in the Bahamas, his wife, Penelope, banished him to a converted stable block next door.

Now, however, I can disclose that Prince Philip’s close friend Lady Brabourne has relented and let her husband, Norton Knatchbull, heir to the Mountbatten dynasty, back to live in the famous 60-room Palladian mansion Broadlands, in Hampshire.

‘Penny is happy for Norton to be back home,’ a friend tells me. ‘Norton is in poor health and ailing and it didn’t seem right for him to be away from his family home.’Brabourne, 69, the grandson of Earl Mountbatten of Burma, moved to the Bahamas in 2010 to embark on a new life with Lady Nuttall, 60. However, their affair fizzled out and he returned in 2014 to Broadlands, where the Queen began her honeymoon.

Norton, who was a friend and mentor to Prince Charles, married Penelope two months after the 1979 assassination of Lord Mountbatten, which also killed three others, including Norton’s youngest brother, Nicholas, and his grandmother, the Dowager Lady Brabourne. In 2010, Penelope, 64, who is Prince Philip’s regular carriage-driving companion, told staff at the 5,000-acre estate that her husband had left and she would be running the estate.

Lord Brabourne, a descendant of Queen Victoria, was living in the Bahamas with Eugenie Nuttall, glamorous widow of former Guards officer Sir Nicholas Nuttall.

ペネロペさんとお嬢さんのアレクサンドラさんの3人でもホースショーを観戦されていますし、家族ぐるみの3代にわたる友人でしょう。

madamefigaro.jp